私と山とさくら草
                        
廣田友重 

私のさくら草栽培歴は1984年に近所の園芸店でさくら草の苗を四〜五鉢買ってきたことから始まります。

ある時、亡母が金剛山で知り合いになった人から、「高鴨神社のさくら草は見事なので一度は見ておくべきだ」との話を教えてもらいました。当時 母は一週間に四〜五度、金剛山に登っていましたので、山に登ってくる人々をよく知っていました。また母も山では知られた存在で、金剛山を巡っての本「金剛山のサムライ」の一人で在ったように思います。
そのためか自然と山での情報が集まってきました。‘85年の春、母と金剛山を登った後、高鴨神社で見たものすごい数のさくら草に感動し、私も少しはこのような花を咲かせてみたいと思いました。これが切っ掛けとなり、さくら草品種の収集、栽培にのめり込むことになったのです。

その後、毎年春になれば母も私も高鴨神社に行き、ポット苗を十〜二十と購入しては数を増やしてきました。母は買ってはきますが育てるのは私の役目でした。栽培をやり出した当時は数も少なく現在のように「約四百種、一千鉢」なるとは思いもしませんでした。     ‘86年に当会に入会してからは 故柴田 顧問、前事務局 田中氏より苗を分けて頂いたこともあり、さくら草の数は急速に増えました。

金剛山を愛し、千五百回も登った母が‘89年1月に癌で亡くなり、私の心に大きな穴がホッカリ空きました。その年 仏事のために植替えが少し遅れ開花が心配しましたが、さくら草は四月にたくさんの可愛い花を付けてくれました。沈んでいた私はこの花にどれ程心を慰めてもらったことでしょう。

今思い返すと、私の山登りはエネルギーを燃やし心が解放される一瞬を求める、がむしゃらな登山でした。母は登山回数を重ねることにこだわっていました。 

山への思いこみは異なっていましたが、私と母との共通の山は金剛山であり、そこで共に好きになった花はさくら草なのです。今では母の死を暗いイメージで捉えるのではなく、共に汗した登山や花に感動した「さくら草」を人間解放 生の賛歌として捉えたいと思っています。  

 

さくら草私的考察 
                                      廣田友重

江戸時代に園芸化されたさくら草は、江戸文化の花卉園芸における形成過程で日本独特の美意識でもって発達し今日まで栽培されてきました。

形は西欧人が好む、明るい大きな花や艶やかさとは違い、つかみ咲きなど、ややもすると劣性な花を好んで選択保存してきたかに見えます。

江戸期の園芸を思考するとき、今日の日本文化の基礎を作ったとも言える一時代前の室町期の文化を考えなければなりません。

室町後半、京都の公家達を中心として園芸の愛好が広がっていきます。それは日本がたいへん豊かな植物相に恵まれており、さらにこの時代の日本が産銀により、たいへんな好景気であったことを背景にしています。

それが江戸期の平和と安定した社会の中に受け継がれひろがり、世界の頂点に立つほどの園芸大国になります。そのままでも美しく、観賞できる 木や花があったことから、自然の中から生まれた変異を見つけ出しその差異の多様性を楽しむ方向にむきます。

江戸期は都市と自然が一体化し都市文明の中にも多くの川や森が存在していました。またエネルギーの循環が旨く働いていた世界一の大都市でもありました。           この江戸文化も遡れば古代縄文時代からの自然観・世界観が根っこにあるのではと思います。諸々の自然の中に神が宿り、人間も自然と対立した特別な存在とは考えず、生命の平等をまさに自然に体現していたのです。

勿論、社会制度は封建制度の枠組みでありましたが、人力の及ばざる自然に対しては畏怖し、恵みに対しては礼讃があったことでしょう。広義の意味では多様な生命の価値を尊重する思想が根底にあり、そのことでもって、人、動植物、物の循環する小宇宙を形成していました。

一方西洋では、氷河の影響で植物相が大変貧弱でありました。西洋が大航海時代を迎え、しだいに経済的に豊かになっていく中で、世界中から植物の蒐集を始めます。そういう意図的な植物との関わりは、自分達の目的にあった植物をつくりだすという方向に動きます。

このような両者の自然に対する基本的姿勢には大きな違いがあります。どちらが良いとか特殊だとかはいえません。ただ現在では西洋の園芸文化が主流になっているのは事実です。

西欧科学文明の発達した21世紀の今日、地球的規模で自然環境が破壊され、このまま行くと人類の生存も危い状態になるのではと考えられます。炭酸ガスによる地球の温暖化、森林の消滅、酸性雨、食料問題、ダイオキシンや放射能汚染など、これらの課題は今までの西欧文明の方程式では解決が難しいのではと懸念されています。

この状況をどのような新たな思想でもって切り開くことができるのかが、社会、個人を問わず問われているのでしょう。

地球的規模で環境を守り、自然破壊を食い止め、人間を含めた生命体がいきながらえるシステムを構築することが今日最も求められています。

二十世紀後半から凄まじいばかりの価値の変化が世界的規模で起こり、東西や南北世界の衝突、地域や民族の紛争もありました。二十一世紀に入り、少しは争いごとの少ない世界になればと願っていましたが、世界同時テロ事件に始まり、アフガニスタンでの戦争、また米国とイラクの戦争、パレスチナ・イスラエル・北朝鮮問題などと世界情勢はたいへん深刻な状況が続いています。一方我が日本も一向によくならない経済状況が世相に反映し、心すさぶ暗い話題が多い昨今です。


私たちの花作りはこのような世界とまったく別世界ではありえないと認識をしていますゆえに、美しい花(さくら草)が人々の心を少しでも癒し、穏やかな世の中に向かって欲しいものだと願っています。

私は江戸文化の花卉園芸を学ぶ中で生命や自然にたいする視線を新たに再生させ歴史的な意義と今日的意義を考えて行きたいと思っています。

                                2003年8月
この論考は平成3年度 浪華さくらそう会誌 第26号に記載されたものを2003年に加筆したものです。
私の桜草に対する歴史認識や見方 基本的な考え方は、これを書いた十数年前とほとんど変わっておりません。ただ世界のまた日本の社会的な変化の大きさに驚くばかりです。このような時こそ しっかりとした視点を持たなければと自らを戒めています。