平成18年度 浪華さくらそう会誌目次

表紙……関西系梅ヶ枝                   表1
山原茂花壇・目次・行事予定                 表2
はじめに                山原 茂          1
鷲谷いずみ編『サクラソウの分子遺伝生態学』を読んで
                    竹岡泰通        2〜15
桜草銘鑑についての覚え書き  山原 茂        16〜21
品種名を変えてはいけない    山原 茂       21〜22
さくらそう春秋            玉井 忠孝      23
桜草札記(13)                         24
実生を詠う              大石 光        25
平成19年度さくらそう開花日  田賀輝美        26〜28
桜草札記(14)                         29
行事録                              30
会計報告・寄贈目録・新入会員名簿            31
会則・編集後記                        32
浮世絵に見る桜草                      表3
美術工芸に見る桜草                     表4

                            はじめに

 今春『世界のプリムラ』(誠文堂新光社)が刊行されました。ここでは西洋桜草とともに、日本の桜草も大きく取り上げられ、さまざまな情報が盛り込まれています。
 私も桜草栽培史を書かせてもらったものの、調べの行き届かないことが多々あって恥ずかしい記事となってしまいました。特に、資料を孫引きしたために過ちを犯してしまいました。頭書増補訓蒙図彙の出版年を訓蒙図彙のそれと取り違えてしまいました。花壇網目のほうが出版は早かったのです。

 資料を引用する場合、原資料にさかのぼるのは研究の常道なのですが、素人の哀しさ、手近にその資料があるわけでなし、つい安易な通を選んでしまいました。ただ先人のされた引用を信用してのことでしたが、こればかりは心にしなければと、肝に命じて次第です。
 ところでこの『世界のプリムラ』のなかに、まことにさり気なくとんでもない資料が出ていました。もう皆さん方の中には気付かれた方も居られるかもしれません。それは『桜草見立相撲』という番付表で、一枚物の刷り物として文久元年(1861)に出たものです。

そこには430もの品種が載せられていて、そのうち私達の知らないものが半数をこえる252品種を数えます。しかも出ー版元が尾陽の金城東の錦縫擱となっています。つまり幕末の名古屋でこんなにもたくさんの品種が栽培され、しかも番付が出るぐらいですから、かなりの栽培者がいたということが想像されるのです。江戸を軽く凌ぐほど栽培がさかんであったようです。品種の中には上方をしのぶ名前もあります。

 桜草は江戸の花と喧伝される向きもありますが、上方・江戸・尾張と互いに交流しながらその発展がはかられていたようです。ただ残念なことに、その後維新の世を経て、上方・尾張の桜草は消えてしまいました。それではなぜ東京だけにのこったのでしょうか。熱心な栽培者がいてもそれを継承する人・組織がなければ長続きしません。さいわい武家に出入りの染井の植木屋がこの桜草を収集しておいてくれたのです。彼等にとってこれは仕事でもありますから代々引継がれていきました。その中心が常春園伊藤重兵衛家です。桜草はここから再出発が図られたと考えていいでしょう。

 私達は桜草を栽培しています。しかし一人ではいくら美しく咲かせても、実生新花を作り出しても、自己満足で終わってしまいます。仲間とともに作り、切磋琢磨することで楽しみは二倍にも三倍にもなっていきます。それがまた次代に受け継がれていくことにもなります。私は浪華さくらそう会の会員であることを誇りに思っています。