香炉鉢の話

中村 清

「浪華さくらそう会誌」四六・四七号に山原茂会長が書かれた「私の桜草人生」に、香炉型の鉢のことが書かれています。

私の父中村長次郎が使っていた香炉鉢について、わずかですが知っていることを書いておきます。

父の家には釉薬の掛かった香炉鉢が十数鉢あります。生前父は「二鉢だけが名古屋朝顔会から頂いた本物で、他は
 真似して作られたもの」と言っていました。

明治の終わりごろ、名古屋朝顔会の村瀬亮吉氏は「名古屋の中心部にある中区の鶴舞公園と記念橋の中間辺りにあった
 大池畔の広大な土地で、不二見焼の窯を経営し、その大池の底土を使って黒釉薬香炉型朝顔用5寸鉢を工夫し、これを名
 古屋朝顔会専用鉢として使われていた。明治40年代に米1升が12銭から13銭の頃に1鉢25銭で販売され、できの悪いも
 のは、惜しみなく割って捨てていたと伝わっている。」(朝顔百科 誠文堂新光社 2012 谷口透氏の記述)ということです。

また、父の「アサガオ作り方咲かせ方 1961 誠文堂新光社」には「村瀬氏がとくにアサガオ用に作らせたもので、径五
 寸と、五寸五分のものがあり,今では製造されず、古いものが骨董品あつかいで秘蔵愛用されている。」とあります。

村瀬亮吉氏は父の本によると、明治四〇年(一九〇七年)にアサガオの黄蝉葉種を交配育成作出された方だそうです。
 あと村瀬氏とは別に名古屋朝顔会の宮島吉太郎氏も明治三九年(一九〇六年)に自然交配によって黄蝉葉種を選抜された
 ということです。

 なお、この大池という池は1965年の時点で既に埋立てられてしまっていたということです。 
 (中村長次郎 日本の花シリーズ ①朝顔 1965 泰文館)
アサガオの黄蝉葉種は、当時としては巨大輪、今日でも大輪の
 色彩優美な系統です。現在も切込み づくり用の品種はほぼ百%黄蝉葉種です。(黄斑入蝉葉種を含む)


 父が亡くなって十数年が経ち、また私自身は園芸とは無縁の人間なので、父の使っていた香炉鉢をどうしようか迷っていま
 した。浪華さくらそう会事務局の廣田さんに、一昨年わざわざ父の暮らしていた大阪府吹田市の家まで取りに来ていただいて、
 丹波焼の香炉鉢を持ち帰っていただきました。このときついでに釉薬の掛かった香炉鉢もお渡しすればよかったのですが、私
 の気まぐれでお渡しせずに残ったままになっていました。

このたび,釉薬の掛かった香炉鉢も廣田さんに引き取って頂けることになり、もう一度見てみました。他の鉢とは違う場所に
 保管してあった二鉢が、どうやら名古屋からの頂き物の本物の香炉鉢のように見えます。他の鉢とは鉢の内側の釉薬の様子?
 が違います。昔、父に「これが本物の香炉鉢」と言われた鉢を見たときに感じた「地味な感じ」があります。

あと、丹波焼の香炉鉢ですが、父の使っていたものについての記録はまだ見つけていませんが、父が直接丹波立杭焼の
 窯元に出向いて焼いてもらったものだと、聞いています。一九六八年にはアサガオ・桜草ともに丹波焼香炉鉢で育ったものが
 写真に写っています。香炉鉢はアサガオでは黄斑入蝉葉種の切込み作り用に使っていました。一九六五年ころまでには大阪府
 吹田市の家にあったように思います。

父の丹波焼の香炉鉢は径一六・八センチメートル、本物の名古屋の香炉鉢に合わせて径を五寸五分にしたものと思います。
 山原会長が「赤松種苗」で入手されたものとは径が違います。父の丹波焼の香炉鉢は、デザイン・寸法は本家に合わせています
 が、材質を違うものにすることで、模造品を脱したということなのでしょう。丹波焼はアサガオ栽培には最適だということです。

 以上、まったくの素人が書いたものですので、釈迦に説法のような箇所、思い違いなどもあると思いますが、ご容赦ください。